東京・都内有数のピンクサロン密集地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/08/27 02:32 UTC 版)
ピンクサロンの歴史
発祥は1960年とされている。
「ピンクキャバレー」や「ネグリジェサロン」などと呼ばれるおさわり専門の業態に、
口での“抜き”(フェラチオ)サービスを取り入れて現在の形が完成した。
1977年にブームとなり、1980年代に入ってからサービス内容が過激化していった。
かつては三経ロンドングループや日の丸グループが有名であったが、
現在東京都内では大きな看板を掲げているところは少ない。
巣鴨の歴史
江戸期には武蔵国豊島郡に現在の豊島区の東半分を占める地域に巣鴨村が存在した。
18世紀半ばには江戸市中の拡大と共に、
巣鴨村の一角に巣鴨町上組・中組・下組が起立。江戸町奉行所の支配下に置かれることとなった。
1878年(明治11年)7月22日、
郡区町村編制法により巣鴨一~四丁目(旧巣鴨町)が小石川区(現在の文京区)に編入される。
1889年(明治22年)4月1日、市町村制が施行され、
東京府北豊島郡に巣鴨町と巣鴨村が発足。元来の巣鴨村は東西に二分され、
巣鴨町に小石川区巣鴨一~四丁目・上駒込村・駒込妙義坂町・駒込染井町、
小石川区大塚辻町の飛地、
巣鴨村に池袋村・新田堀之内村と雑司ヶ谷村の一部及び堀之内村・中丸村・長崎村のそれぞれ飛地を編入。
1918年(大正7年)7月20日、巣鴨村が町制を施行し西巣鴨町と改称。
1932年(昭和7年)10月1日、巣鴨町・西巣鴨町共に東京市に編入され、
高田町・長崎町と共に豊島区の一部となる。したがって、
今日「巣鴨」といえば巣鴨駅・高岩寺周辺の一帯のみを指すが、
元来は駒込駅~池袋駅一帯を指すかなり広い範囲の地域名である。